詳細 ※こちらは参加者連絡用のTwiplaです。 募集は行っておりませんのでご了承ください。 永禄三(1560)年五月十九日、尾張の織田信長が駿・遠・三の三国を統べる今川義元の大軍を撃破し、義元の首級を挙げた桶狭間の戦い。 とても有名な合戦ですが; 今川義元はどこに本陣を構えていたのか? 信長は如何に義元の本陣(「旗本」)を補足することが出来たのか? など、詳細は諸説入り乱れてはっきりしていません。 そこで今回は、その中から地元の研究家・太田輝夫先生の説に基づき、旧暦の5月19日(新暦6月16日)に極力近い週末を使って両軍の推定進軍ルートを辿り、合戦の経過と帰趨を探ります。 ※参考文献「桶狭間合戦 奇襲の真実」(太田輝夫著 新人物往来社刊) ※極力当時の時間経過などを探るため、移動は基本的に全て徒歩となります。 ①「今川軍の進軍ルートを巡る」 6月14日(土) ※集合時間・場所:午前10時 前後駅(参加者:現時点ではしみず単独) まずはバスかTaxiで移動し、今川軍が決戦前に軍議を開いた沓掛城(聖應寺、出羽守墓)からスタート。 織田軍に討たれた決戦地候補の一つ「桶狭間古戦場伝説地」(田楽狭間/豊明市)までの推定進軍ルート。 及び決戦前に松平元康隊が兵糧を運び入れ、義元も入城する予定だったと思われる大高城、そして丸根・鷲津両砦など。 ②懇親会 6月14日(土)夜 ※会場・時間未定 名古屋駅周辺で簡単な飲み会を開きたいと思います。 集まれる時間もバラバラなので詳細は決めず、当日18時頃から開始して後から合流する方には当日ご連絡します。 ③「織田軍の進軍ルートを巡る」6月15日(日) ※集合場所:鳴海駅/時間:未定(参加者:現時点ではサイガさん、しみず) 今川軍の丸根・鷲津砦への攻撃開始を知り、清州を出て熱田、丹下を経て善照寺砦に入った織田信長。そこから先、今川本陣に突撃するまでの; 中嶋砦、「山際」を経由し、やはり「桶狭間古戦場伝説地」まで至るルートを現在に残る道を辿って歩きます。 その後は「桶狭間古戦場伝説地」の先、今川義元の本陣予定地とされる瀬名藪(「おけはざま山」近く。大高城へと続く「大高道」が通っています)、長福寺など。 解散予定:午後5時頃 中京競馬場駅 ■注意事項 ※あくまでも両軍の推定進軍ルートを辿るのが主な目的なので、今回は立ち寄らない有名ポイントもあります。予めご承知おきください。 ※しみず自身に土地勘はなく、手探りでの踏査となります。従いまして特に初日の①は気長に街歩きにお付き合い頂ける方のみのご参加でお願いします。 参加される方は上記①~③いずれに参加されるか、また①は不参加で②参加の方は集合可能時間も合わせてお知らせください。 ※今後はこちらを連絡用に活用したいと思います。 場所 桶狭間古戦場 道順を調べる 参加者 (5人/定員7人) 興味あり (0人) 不参加 (0人)
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