詳細 「暴走族なんて呼び方はかっこよすぎる。ダサい名前つけて呼ぼうぜ!」という発想からこの呼び方が生まれた。 インドア派の多い2ちゃんねらーはDQN叩きを好むが、初期2chにおいてもその傾向はあった。 モナー板では、2001年夏、珍走団との戦争と称して大規模な突撃をしかけた。だが、大量の荒らしコピペの反撃を受ける。 これに対抗して削除人は新しい削除ツールを試すが、これが失敗し、モナー板は廃墟になった。 住民がみんなで廃墟になる前のdatログを提出し復旧を目指したが、完全な復旧はできなかった。 漫画家でミュージシャンのみうらじゅんも同様の趣旨で「おならプープー族」という言葉を作った。 マフラーの消音機を外したり、マフラーを途中で切断するなどして、意図的に大きなエンジン排気音を発生させる、あるいは大音響のホーンを鳴らすといった騒音を出したり、何台も車両を連ねて路上を占拠し低速で蛇行走行などを行う形態の暴走族を、共同危険型暴走族という。おもに、幹線道路や繁華街の一般道路、一部高速道路などで活動する。集団走行等の暴走行為をメインに活動していることを除けば、一般市民を威嚇したり、活動するテリトリー内で起きる暴走族同士の抗争事件などの暴力的側面や直接的に暴行や恐喝を行う犯罪傾向も併せ持ち、実質的にストリートギャングに近い集団である。 1970年代から1980年代にかけて大きく社会問題化したこともあり、一般に「暴走族」というと、この共同危険型暴走族の姿が想起されることが多い。構成員の多くが若い男性で、女性のみの集団は「レディース」という俗称で呼ばれることもある。車両改造は、排気音を大きくしたり派手な装飾を施すことに費やされることが主で、かつてはスポーツバイクが主流だったが、近年ではスクーターやセダン型の四輪自動車など多岐に渡る。 不良行為少年の代表格と見られることが多く、1970年代から1980年代にかけ、一種独特の服装や髪型などが暴走族への所属有無に係らずファッションとして不良少年全般に広まっていた。ブームが終焉した後はより一般的なファッションに戻った者も少なくない。グループごとに地域性が強く、主に中学校の同級生同士の不良グループがチームを元に組織して結成され、周辺中学への征圧傘下を繰り返し、中学卒業後に暴走族として結成されるケースが多い(場合によっては高校の同級生同士で結成されるケースもある)。地元近圏を初めとした知人・後輩の不良グループを勧誘、複数の暴走族グループの連合化や傘下吸収等を繰り返し、組織の維持と勢力拡大を図っていく。そのため、それら中学校・高校の不良グループが結束したクラブ活動のような存在となり、加入予備軍となる軽度の不良少年に対しても背後で一定の影響を及ぼしている。さらには暴力団の下部組織として機能、または同団体への加入斡旋の場となるケースも多い。 地縁血縁等により比較的容易に参加できるが、体育会系的な体質からグループ内に見られる「掟」や負の同調圧力などのために脱退が難しく、掟を破るとリンチを加えるなどで拘束される。一方で時代の変化とともに、掟の厳しさが青少年層に受け入れられ難くなり、1982年ごろを境に規模は縮小傾向にある。基本的に、18歳または成人となる20歳をもって暴走族から引退し、替わりに年少者を加入させるという慣習があるとされてきた。1990年代以降には、求心力の低下から後継者ができずに一定の年齢になっても引退できない状況に陥ったり、人数不足を成人OBの再加入によって賄ったりするなどで、構成員が高年齢化する傾向もある。 「え~本日は~お日柄もよく~やりますよ~?」―――中村○樹 「最後は事故で話そう」―――中村○樹 「展開という操作を行います」―――中村○樹 「コール愛!」―――細○StreetRacer 「目は輩ですが中身も輩です。」―――声○イベンター輩 場所 名阪スポーツランド 道順を調べる 参加者 (0人) 興味あり (0人) 不参加 (1人)
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