2015922[火] 13:00

どなたでも飲み会途中参加OK
【9月22日13時~】ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』読書会第1回「I 動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある(続く)」

KashiMax

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詳細

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▲概要(読み飛ばしていただいて結構です)
名古屋クラスタさんと共同開催となって一回目はジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』を取り上げます。
今回は「I 動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある(続く)」を扱います。


現代思想をはじめとして各分野において先端のテーマとなっている「ポスト・ヒューマン」ないし「動物」。
そしてその中心の一角にはジャック・デリダがいます。


「われわれ(人間)にとってどこまでが「他者」なのか?」

それは

「私たちが(人間)に固有であると考えてきたものは、本当に(人間)にのみ当てはまるものなのか?」

という問題提起でもあり


「自然」に抗うことができる能力を有するものが人間(コジェーヴ)


賃〈労働〉でもなく、〈物〉を残す〈仕事〉でもなく、人間たちの議論等の〈活動〉が人間の〈条件〉(アーレント)


と考えられていた従来の「西洋的」人間観に再考を促すものでもあります。


また

東浩紀の『一般意志2.0』が公共性を指向せず(政治に関心を持たず)個々がばらばらに意見を述べることが重要
(公共性を指向すると意見が単一化し、むしろ危険)というルソー解釈を提示し


『動物化するポストモダン』が公共性をもたない「オタク」に注目し、そこでは「自然」に抗うというコジェーヴ的「人間」観は消滅し

アーレント的な人間性(公共的な社交性)はデーターベース水準(新たな「萌え」のリソースの生産による交流)で担われる(そして「意味」への渇望は、タコツボ化した「小さな物語」の世界の中で「萌え要素」の反復によって満たされる)


という「動物性」と「人間性」が乖離し、従来の西洋的な「人間」観が無効化したという分析を提示していることからもわかるように

「公共性」(社会性)の問題と「動物」の問題は深く関連しています。


読書会においては従来の「人間観」と「公共性」について再考する目的で「動物」について考えていきたいと思っております。


変わるかもしれません。(「情動」とか「感情」の問題も大事だし…)


▲参加方法

以下のいずれかの方法でお願いいたします。
・Twiplaで参加表明する(下の「参加する」からお願いいたします。)
・@kashimanneoxにリプライする
・直接言う
・突然来る

▲日時
2015年9月22日13時~16時30分

▲場所
東生涯学習センター 第1集会室(デリダ研究会)
東区葵一丁目3−21

会場費1200円を参加者人数で割った額、数百円のご負担をお願いしております。
よろしくお願いいたします。

場所
東生涯学習センター(東区葵一丁目3−21)
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      コメント
      1. @kashimanneox 参加します!
        yusuke nino 3357日前 
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