詳細 ミルチャ エリアーデ「聖と俗-宗教的なるものの本質について-」(法政大学出版界)の読書会の二回目です。 一回目の開催時(5月5日)には「序章」と「第一章」を読み進めました。 ですので、今回は「第二章 聖なる時間と神話」を読み進めます。 恐らく第二章のみの読解で今回は終了するかとは思うのですが、念のため第三章についても「水の象徴(p.123)」までご一読頂けますと幸いです。よろしくお願いいたします。 ご一読の上、疑問に感じた点/よくわからなかった部分等々を議論の際に複数挙げていただきますと、取り掛かり口が明確になり大変助かりますので、余力がございましたらご協力頂きますようよろしくお願いいたします。 今回は【6月21日(日曜日)13時~17時】に行ないます。 もちろん途中参加、途中抜け可能です。 場所はまた後日連絡いたします。 それではどうぞよろしくお願いいたします。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------- 1960年代後半の左翼運動の失速後、運動に失望した人々がオルタナティブとして求めたのが宗教「的」なるもの、いわゆる「霊性文化」であった。 人々が「霊性文化」を求めるその波は、70年代の民俗学のリバイバルブームを経て、80年代には高度経済成長下での資本主義消費社会とは「別の世界」を提示し「癒し」を与えるものとしてスピリチュアルなものの商品化によって加速し、90年代にはバブル経済の崩壊による不安から、スピリチュアルなものへの注目はますます高まり、オウム真理教的新興宗教を受け入れる地盤を形作る。 オウム事件を経た現在においては霊性文化に対する関心は80年代のブーム時と比べれば下火になってはいるものの、依然「オカルト」や「占い」に対する関心は褪せておらず、吉本ばななや村上春樹が多くの読者を獲得し「物語」による「癒し」が人気を集める今日の文化状況は、かつてのブームと相同する部分を持ちながら、新しい「霊性文化」のあり方への人気が高まっているように思われる。 また別の角度から考えてもISISのような資本主義文明に対する宗教の側からのテロリズムなどの事態を鑑みても、現代文明を考える際に宗教は外すことの出来ないファクターとして存在する。 アンケート 読書会希望日 参加者 (2人) 興味あり (0人) 不参加 (0人)
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